ハエノネ 恋愛

「高校合格したら遊園地に行こう」垣本登(15)にとって根黒硝子(22)は親戚のお姉さんであり家庭教師であり片恋相手。合格した暁には観覧車の天辺で告白するつもりだった。だが合格発表の日、硝子は急逝する。愛する人の死を受け入れられない登は遺体を盗み出し一路遊園地を目指す。
第20回小説現代新人賞_まいずみスミノフ 52 0 0 08/02
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第一稿

◯登場人物表
垣本登(15)中学生
根黒硝子(22)大学生 登のいとこ
篠尾伊月(15)中学生 登の幼馴染
根黒黒雄(57)硝子の父親 登の叔父
友保広樹(28)硝子の彼 ...続きを読む
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◯登場人物表
垣本登(15)中学生
根黒硝子(22)大学生 登のいとこ
篠尾伊月(15)中学生 登の幼馴染
根黒黒雄(57)硝子の父親 登の叔父
友保広樹(28)硝子の彼氏
垣本清子(54)登の母
根黒里美(56)硝子の母親
駅員

 
◯ 垣本家・登の部屋(夜)
   ハンガーにかかった学生服。
   本棚には漫画本や中学の教科書が並ぶ。
   勉強机に向かう垣本登(15)
   登の隣には根黒硝子(22)が座っている。
   答案用紙にチェックを入れて行く硝子。
   一方登は気もそぞろ。
   チラリと硝子のミニスカートから伸びる足を盗み見る。
硝子「…登?聞いてる?登!」
登「は、はい!」
硝子「もう受験ま二ヶ月切ってるんだよ?わたしが丸をつけている間に英単語一個ぐらい覚えられるよね」
登「……」
硝子「休んでる暇はないよ」
   登の視線はキョロキョロと硝子の太ももの上を行ったり来たり…。
登「だって硝子ちゃんが…」
硝子、ギロッと登を睨んで、
硝子「何?」
登「な、何でもないです…。ごめんなさい…」
   ため息をつく硝子。
   登、単語帳を取り出してパラパラとめくるが集中できない。
登「…あのさ硝子ちゃん」
硝子「まだ休憩はしないよ」
登「違うよ!あの、その…」
言い淀む登に眉根を寄せる硝子。
登、緊張の面持ちで声を絞り出す。
登「…高校に受かったら『ユニパ』行かない?」
硝子「…ユニパってユニハイランドパーク?」
登「そう。ぼくと硝子ちゃんで…」
硝子「登とわたしで?」
登「ふ、ふふふ、二人で…」
   考える硝子。
   俯きぎゅっと目を瞑る登。
硝子「いいよ」
登「えッ!?」
硝子「何、えって」
登「いやその意外で…」
俯く登。ワナワナと体を震わせて喜びを抑え切れない。
硝子「ただし受かったらね」
登「分かってるよ…」
硝子「本当に?分かってる?高校落ちたらどうなるか、考えたことある?」
登「…高校浪人じゃなくて?」
硝子、ゆっくりと首を横に振る。
硝子「もう登とは会わない」
登「…え?」
硝子「会わせる顔が無いから。登にもおばさんにも」
硝子の冷たい視線が登を射抜く。
恐ろしくて固まる登。
登「…ッ」
   猛烈な勢いで問題集を解き始める。
   登の後頭部を見下ろす硝子。
硝子「…頑張れ」
   柔和な笑みを浮かべる。
   ×  ×  ×
   電気の消えた室内。
   明かりはスタンドライトのみ。
   一人勉強に向かう登の背中。
   T「ハエノネ」
   机の上には「ユニハイランドパーク」のパンフレットが広げられている。
   じっとパンフレットを見下ろす登。
   何かを思いついたように書き込む。
登「…よし」
   パンフレットの園内地図、観覧車の天辺に「告白!」と書き込まれている。
   ピピピと鳴る机のアラーム。
登「よし、休憩終わり」
   パンフレットをしまって勉強に戻る。

◯ 桜の木
   蕾がパッと花開く。

◯ 高校・外観
   三階建ての校舎。
   校舎の前に設置された掲示板の前には黒山の人だかり。

◯ 同・校庭
   わずかに色づいた桜の木。
   『合格者受験番号』と書かれた掲示板の前に制服姿の学生たちが集まっている。
   人混みの中には登と篠尾伊月(15)の姿が見える。
   緊張の面持ちで掲示板を見上げる登。
   登、大きくガッツポーズをして、
登「よっしゃ!」
   喜ぶ登を見つめる伊月。
   登の隣に近寄って来る。
伊月「…登も受かったの?」
登「もってことは伊月もか。おめでと」
   大袈裟にため息をつく伊月。
伊月「はぁー。来年も登と同じ学校なんて最・悪!」
登「……」
伊月「ホントわたしたちって腐れ縁っていうかさ、いい加減別の学校行きたいよね」
登「そうかな」
伊月「…え?」
登「ぼくは伊月と一緒の方が安心だけどな」
   驚き固まる伊月。
   首に巻いたマフラーで顔を隠す。
伊月「あっそ…」
伊月、登に拳を突きつける。
登「…なに?」
伊月「あのさ、流石に高校行ったらスマホ持つんでしょ?」
登「まあ多分」
伊月「これわたしの番号」
   無理矢理登に紙を握らせる。
   紙には電話番号が書かれている。
伊月「あんま電話しないでよ!」
   捨て台詞を吐く伊月。人混みの中へ姿を消す。
   不満げな登。
登「…じゃあ渡すなよ」
   校門から走って来る垣本清子(54)
   登、清子に気づいて手を振る。
登「母さん!受かったよ!」、
清子「登!」
   肩で息をする清子。
清子「…落ち着いて、聞いて」
登「いやこっちのセリフなんだけど…」
清子「…硝子ちゃんが」
   目を瞬かせる登。

◯ 根黒家・外観
   大きく古い日本家屋。
   入口には「根黒家葬儀会場」と書かれた立て看板。
   外まで聞こえるお経と木魚の音。

◯ 同・仏間
   様々な花で彩られた白木祭壇。
   お経をあげる僧侶。
   喪主席で項垂れる根黒黒雄(57)と根黒里美(56)
   親族席に座る登と清子。
登「……」
   険しい顔で遺影を見つめる。
   登の視線の先、遺影にうつるのは硝子。
   ×  ×  ×
   棺桶を囲む弔問客たち。
   皆、口々に「可哀想…」「眠ってるみたい…」と涙を流す。
   遠巻きに彼らの様子を眺める登。
登「……」
   イライラした様子で拳を握りしめる。
   やがて耐えられなくなり部屋から飛び出して行く。

◯ 同・控室
   部屋の隅で一人座る登。
   遅れて清子が入って来る。
清子「…登?どうしたの?」
   俯き何も言わない登。
   清子、登の隣に座って、
清子「…硝子ちゃんね、急性心不全っていって、突然心臓が止まっちゃったんだって。昔から体が弱かったから」
登「……」
清子「でも最近は入院することもなかったし学校もちゃんと行けてたのに、なんで…」
   込み上げる涙をハンカチで拭う。
清子「…登、硝子ちゃんに合格報告した?」
登「……」
清子「…お別れ、言わなくていいの?」
登「みんな酷すぎる」
清子「…え?」
登「寄ってたかってひとの寝顔を覗き込んで、キレイとか可哀想とか、勝手なこと言って…」
清子「……」
登「硝子ちゃんは見せ物じゃない」
清子「…そう。確かに登からはそう見えるかもしれない」
登「……」
清子「…でもね、みんなそうやって現実を受け入れるの。辛いけど仕方ないじゃない…」
登「……」
清子「それに明日にはもう…」
   ガタッと立ち上がる登。
登「それぐらい分かってるよ」
清子「……」
登「子どもじゃないんだから…」
   部屋から出ていく。
   不安げに登の背中を見つめる清子。

◯ 同・廊下(夕)
   ギシギシと床板を軋ませながら歩いてくる登。
   辺りは薄暗くひと気はない。
   登、広く入り組んだ通路をあてもなく進む。
   中庭や物置などを見て回り、ふとある部屋の前で立ち止まる。
登「ここは…」
   ルームプレートには「しょうこ」の文字。
   部屋を見上げてじっと考える登。
登「ここなら、もしかしたら…」
   ゆっくりとドアノブに手をかける。
登「…ッ」
   廊下の先から人の気配。
   登、逃げるようにその場から立ち去る。

◯ 同・玄関(夕)
   靴を履く清子。
   清子の元へ歩いて来る登。
清子「登。そろそろ帰りましょう」
登「今日泊まって行く」
清子「泊まる?」
登「やることがあるんだ」
清子「そんな突然…。ご迷惑だから今日は帰りましょうよ。着替えだって持って来て無いし…」
登「高校合格、ちゃんと報告したいんだ。お礼だって言いたいし」
清子「……」
   不安げに口をつぐむ。
根黒「うちは構わないぞ」
   いつの間にかぬっと登の後ろに根黒が立っている。
   驚く登と清子。
清子「…お兄ちゃん」
根黒「硝子の話、色々聞かせてくれ」
登「ありがとう。おじさん…」
   根黒はそのまま幽鬼のように部屋の中へ消えていく。
   清子、登に耳打ちする。
清子「…何かあったらすぐに逃げなさい」
登「逃げる?」
清子「今のお兄ちゃん正気じゃないから」
   頷く登。
   不安げに外へ出て行く清子。

◯ 同・仏間(夜)
   畳の上に正座する登。緊張の面持ち。
   座卓を挟んで座る根黒。タバコをふかしている。
   二人の間に流れる気まずい空気。
根黒「…飯、旨かったか?」
登「え?ああ、うん。おいしかった。ごちそうさま…」
根黒「おれも少し気が紛れた。久しぶりに飯が喉を通った気がするよ」
登「……」
   根黒の目にはくま。頬はこけて明らかに憔悴している。
根黒「高校受かったんだってな」
登「…うん」
根黒「試験は難しかったか?」
登「…うん」
根黒「あの子はよく教えてくれたか?」
登「……」
   俯くように登は頷く。
登「…休んでる暇はないよって、ぼくが少しでも気を抜くと怒るんだ」
根黒「……」
登「正直すごく怖かったけど、喜んで欲しくて頑張った…」
根黒「あの子も張り切ってたんだ。硝子が学校の先生を目指してたことは知ってるだろ?」
登「うん」
根黒「お前が最初の生徒だ」
登「……」
根黒「最初で最後の…」
   言葉を詰まらせる根黒。
   手に持ったタバコの灰は長く伸びている。
根黒「…やることがあるって言ってたよな」
登「……」
根黒「そのためにウチに泊まったんだろ?」
   首を横に振る登。
登「…自分でもよくわからない」
根黒「わからない?」
登「何かをしなきゃいけないのに、見当もつかない」
根黒「……」
登「でも硝子ちゃんに言いたい放題言って、勝手に悲しんでる人たちが許せないんだ…」
   大きくタバコを吸い込む根黒。
根黒「できることは何も無いぞ」
登「え…」
根黒「死んだらそれまでだ」
登「……」
根黒「この葬式だってそうだ。硝子のためなんかじゃない。生きてる人間が悲しめる場所を提供しているにすぎない。こんなものに幾ら金をかけたところで、あの子が喜ぶはずもない…」
   根黒、タバコを灰皿に押し付けて、
根黒「もう手遅れなんだよ」
登「イヤだ。ぼくは諦めたくない」
根黒「……」
登「…おじさんは諦めるの?」
   ガッと登の胸ぐらを掴む根黒。
   座卓の上の湯呑みやグラスが派手な音を立てて倒れる。
根黒「黙れ」
   驚く登。
   しかし毅然と根黒を睨み返す。
   音を聞きつけた里美が飛び込んでくる。
里美「お父さん!」
   外へ連れ出される根黒。
   去り際…、
根黒「何ができるんだ…教えてくれ…」
里美「登くん…。お線香お願い」
登「……」
里美「それだけは絶やさないで…」
   一人部屋に残された登。
   開け放たれた襖の奥を睨みつける。

◯ 同・廊下(深夜)
   チカチカと明滅する電灯。
   辺りは薄暗く静まりかえっている。
   ぎしっと床を軋ませながら歩いて来る登。
登「……」
   硝子の部屋の前に再び立つ。
   扉を小さくノックするが返事はない。
登「…硝子ちゃん、入ります」
   ゆっくりとドアノブを回す。

◯ 同・硝子の部屋(深夜)
   電気をつける登。
   室内は整然としており落ち着いた雰囲気。
   登、ぐるりと見回して息を吸い込む。
登「硝子ちゃんの匂いがする…」
   壁にかかったコルクボードには様々な年代の硝子の写真。
   登、写真を見て、
登「…硝子ちゃん、昔から変わらないな」
   続けて本棚やハンガーにかかった服などを見て回る。
   しかしこれといった目ぼしいものは見つからない。
   最終的に登は勉強机に目をつける。
登「勝手に触ってごめんなさい…」
   引き出しを開ける。
   中から出てきたのは「硝子のスマホ」と「ユニパのパンフレット」
   スマホは電池切れで電源がつかない。
   次に登はパンフレットを手に取る。
登「硝子ちゃんもユニパ、楽しみにしてたのかな…」
   何気なく中を開いて、登は息を飲む。
登「…ッ!」
   目を見開く。
   指先が震える。
   パンフレットの園内地図、観覧車の上には「告白」と書き込まれている。
登「…両思いだったんだ」
   俯く登。
   表情は見えない。

◯ 同・仏間(深夜)
   棺桶を見下ろす登。
   中では硝子が花に包まれて眠っている。安らかな寝顔で血色も良い。
   じっと登が見下ろしていると、不意に硝子は目を開ける。
硝子「お願い登。連れてって」
登「…ッ!」
   驚く登。
   しかし次の瞬間には硝子は目を瞑ったまま。元の姿に戻っている。
   薄らと笑みを浮かべる登。
   硝子の髪を指で梳く。
登「分かった。行こう」
   ぐっと硝子の体を抱き起こす。

◯ 根黒家・外観(朝)
   降り注ぐ朝日。

◯ 同・仏間(朝)
   一人呆然と立ち尽くす根黒。
   視線の先には硝子の棺桶。蓋が外れて空っぽになっている。
根黒「…そうだと思ったんだ」
   激しく畳を踏み鳴らして叫ぶ。
根黒「やっぱり硝子は生きてたんだ!」
   狂ったように笑う根黒。
   フッと意識を失って倒れる。
   部屋に飛び込んでくる里美。
里美「お父さん!?」
   根黒の元へ駆け寄る。

◯ 垣本家・外観(朝)
   二階建て一軒家。
   表札には「垣本」の文字。

◯ 同・LDK(朝)
   寝起きの清子。ダイニングテーブルの上の書き置きに気づく。
   『すぐに戻ります。あとおばあちゃんの車椅子借ります。登』
清子「…どういうこと?」
   二階に向かって叫ぶ。
清子「登!帰ってるの!?登!」
   部屋から出て行く清子。

◯ 道(朝)
   住宅街を走る登。
   大きなリュックを背負って車椅子を押している。
   車椅子に乗るのは硝子。
   死装束の上からジャンパーをかけて、頭にはキャップを被っている。
   キラキラと朝日が二人に降り注ぐ。
   登、目を細めて、
登「…絶好の旅日和だね!」
   硝子は黙ったまま何も言わない。
登「行くよ硝子ちゃん。しっかり捕まってて!」
   一瞬「ぶぶぶ」と登の耳を掠める虫の羽音。
   しかし登は気づかない。
   スピードアップして走って行く。
   ×  ×  ×
   次第に増えてくる通行人。
   登の正面、ジョギング中の男性が近づいてくる。
   緊張に強ばる登の顔。
男性「おはようございます」
   小さく会釈する登。
   すれ違う瞬間、男がチラリと硝子を見たのを登は見逃さなかった。
   振り返る登。
   男が走り去ったのを確認して、深くため息をつく。
登「やっぱりこの格好目立つよな」
   硝子を見下ろす。
登「…それにもっと可愛い服の方がいいよね」
   考える登。
   ハッとしてポケットをまさぐる。
   登の手には伊月の番号が書かれた紙。

◯ ナガシマ屋・外観
   五階建ての大型デパート。

◯ 同・前
   入口に立つ登。イライラした様子で辺りを見回す。
   隣に硝子の姿はない。
   少し離れた所から歩いて来る伊月。
   登、伊月に気づいて手を振る。
登「伊月!」
   ちょっとオシャレをしている伊月。少し照れくさそうに、
伊月「来たけど…」
登「遅い!」
伊月「はあ!?」
   怒りに震える。

◯ 同・店内
   伊月の腕を引く登。
   軽快にエスカレーターを駆け上がる。
登「早く!早く!」
伊月「ちょっと!登!」
   二人が来たのは婦人服売り場。
   登、両手を広げて、
登「さあ!選んで欲しい!」
伊月「…おばさんのプレゼントを?わたしが?何で!?」
登「高校合格したからさ、母さんに日頃の感謝を伝えたいんだ」
伊月「何でわたしがそんなことしなきゃいけないのって言ってんの!?」
登「…だってぼくじゃ全然分からなくて。あとあんまり時間がないんだ。安く良い物を迅速に選んで欲しい」
伊月「注文ばっかでムカつく!」
   不意に伊月の手を握る登。
   驚き目を泳がせる伊月。
   登、真っ直ぐな目で伊月を見つめる。
登「ぼくには伊月しか頼れる人がいないんだ」
伊月「……」
登「…頼む」
伊月「…まあ、わたしもおばさんにはお世話になってるから協力するけど」
登「ありがとう!」
伊月「で、何を買うの?」
登「(考えて)…一式?」
伊月「一式!?」
   力強く頷く登。
   ×  ×  ×
   デパートの中を回る登と伊月。
   服屋、靴屋、帽子屋などを出入りする度に手に持つ紙袋が増えていく。
   二人が最後に訪れたのは雑貨屋。
   何となくアクセサリーを見ている伊月に対して登の目は真剣そのもの。
   熱心に店員と相談している。
伊月「…何でそんな真剣なの?」
   訝しげに眉を寄せる。

◯ 道(夕)
   繁華街を歩く登と伊月。
   登の手には無数の紙袋。
   満足げな登に対して伊月の表情は暗い。
伊月「…ねェやっぱり説明して」
登「説明?」
伊月「そんな大量のプレゼント、高校合格し たからって親に買わない」
登「それぐらい感謝してるってこと」
伊月「おばさんが着るには若すぎるし…」
登「母さんにはいつまでも若くいて欲しいんだ」
伊月「下着も?」
登「……」
伊月「母親に下着をプレゼントするなんて登はヘンタイなの?」
登「…う」
   言葉を詰まらせる。
   有無を言わせぬ伊月の目。
   登、しゅんと肩を落として、
登「そんな酷いこと言わないでよ…」
伊月「…え」
登「下着は頼まれてただけだよ。ぼくだって本当はイヤだけど、仕方ないだろ」
伊月「……」
登「母さんいつも一人で頑張ってるから…」
伊月「あ、あの、ごめん…」
   登、パッと笑顔になって、
登「ううん!分かってくれたなら良いんだ!」
伊月「……」
登「それよりもこれ今日のお礼!」
   登、小包を取り出して伊月に渡す。
   中から出てきたのはネックレス。
伊月「あ、これ…」
登「伊月これずっと見てたろ?欲しいのかなって思って」
伊月「…あ、ありがとう」
登「最後にもう一つお願いなんだけど、今日のことは母さんに内緒にして欲しい。サプライズなんだ」
伊月「…うん、分かった」
登「じゃあぼくはこっちだから!今日はホントありがとう!また入学式に!」
登、伊月に背中を向けて走り出す。
伊月「あの!これ!大事にするから!」
   大きく手を振り返す登。
   ネックレスを見下ろす伊月。ニヤニヤが止まらない。
   震える伊月のスマホ。
   知らない番号からの着信に首を傾げる。
   伊月が電話に出ると清子の声が聞こえる。
清子の声「もしもし伊月ちゃん!?わたし!登のママ!」
伊月「あ。お、お久しぶりです…」
清子の声「登どこ行ったか知らない!?」
   ハッとして顔を上げる伊月。
   伊月の視線の先、既に登の姿はない。
   硬直し逡巡する伊月。
   伊月、ネックレスをぎゅっと握って、
伊月「…知らないです」
清子の声「そう。ありがとう。もし何か連絡あったら知らせて!それじゃあ」
   ぷつっと切れる通話。
   不安げな伊月。登の走り去った先をじっと見つめる。

◯ 児童公園(夕)
   住宅街に位置しており敷地面積は狭い。
   滑り台やブランコなどいくつか遊具が並んでいる。
   周囲に人影はない。
   大量の紙袋を持った登が歩いて来る。
登「あっぶねー。伊月がバカで助かった」
   登の向かう先にはベンチ付きの東家。
   公園入口からは見えない位置に硝子が座っている。
登「……」
   登の目にうつる硝子は儚く可憐な居ずまい。
   つい見惚れてしまう。
   登、ハッと我に帰って、
登「硝子ちゃん!」
   硝子の前にひざまずく。
登「ごめん!こんな所で待たせて!何か危ないことはなかった?」
   硝子、黙ったまま何も言わない。
登「…大丈夫そうだね。行こう!お土産があるんだ!」
   ガバッと折り畳んだ車椅子を広げる。

◯ Hotel Stay Love・外(夜)
   「宿泊」「休憩」などと書かれた看板。
   外壁を照らすアッパーライト。
   建物を呆然と見上げる登。禍々しい雰囲気に圧倒される。
   傍には車椅子に乗った硝子。
登「…こ、ここなら誰にも会わないで泊まることができる、らしい」
   登、うっと狼狽える。
   無言の硝子が自分を責めているような気がする。
登「だってもうユニパ閉まっちゃったから!明日必ず連れて行くよ!」
硝子「……」
登「ホント何もしない!ただ泊まるだけだから!」
   硝子は俯いたまま何も言わない。

◯ 同・客室(夜)
   間接照明に照らされた室内には大きなベッドが一つだけ。
   緊張の面持ちで辺りを見回す登。
登「結構中は普通だね…」
硝子「……」
   部屋の時計は21時を指す。
   硝子の体を抱きかかえる登。そのままベッドに連れて行く。
登「硝子ちゃん。少し我慢して欲しい」
硝子「……」
登「なるべく見ないし絶対に変なことはしないから」
   深呼吸する登。気合いを入れ直し硝子の帯に手をかける。
   左前の着物を開けた直後、
登「…ッ!」
   硬直する。
   硝子の裸体に視線が釘付けになる。
   登、ゴッと自分の額を殴って、
登「…ごめん。血迷った」
   そっと硝子にバスタオルをかける。
   俯く登。あまり見ないように作業を再開する。
   まず濡らしたタオルで硝子の体を丁寧に拭く。
   次に下着を取り出して着せる。
   動かない体に衣類を着せる作業は楽ではなく、登の額には玉の汗が浮かぶ。
   シャツに袖を通させてスカートを履かせる。
   仕上げに髪を梳いて口に紅を引く。
   気づけば時刻は深夜0時を過ぎている。
   うつむく登。
   改めて硝子を見る。
登「…すごい」
   若者らしい洋服に身を包んだ硝子。
   清楚な雰囲気をまとい、心なし表情も柔らかく見える。
   登、ハッとして、
登「そうだ!忘れてた!」
   取り出したのはネックレス。
   硝子の首につけてあげる。
登「やっぱり…。硝子ちゃんに似合うと思ったんだ!」
   うっとりと硝子を見つめる登。
   次第に瞼が重くなってくる。
登「明日、楽しみだね…」
硝子「……」
登「硝子ちゃんの匂いがする…」
   硝子の脇で丸くなる登。あっという間に眠りに落ちる。
   「ぶぶぶ」と登の周りを飛ぶハエ。
   しかし登は気づかない。

◯ 同・前
   カッと照りつける太陽。
   硝子の乗った車椅子を押す登。ホテルから出て来る。
   硝子、ツバの大きな帽子を目深に被り殆ど顔は見えない。
登「よし行こう!」
   車椅子を押して歩き始める。

◯ 藍原駅・外観
   小さな地上駅。
   線路の上には跨線橋がかかっている。

◯ 同・前
   車椅子を押す登。
   停車中のタクシーをチラリと見る。
登「…そんな余裕はないよな」
   登がポケットから取り出したのは硝子のスマホ。
   地図アプリで経路を確認する。
登「でも電車に乗れば昼過ぎには着くよ。もう少しだからね、硝子ちゃん」
硝子「……」
   階段の下まで歩いて来る登。
   じっと階段を見上げて異変に気付く。
登「あれ…?」
   キョロキョロと辺りを見回しながらうろつく。
登「…嘘だろ」
   愕然とする登に、感じの良い駅員が近づいてくる。
駅員「すみません!ここエレベーターないんですよ!」
登「……」
駅員「手伝いますよ!」
   車椅子に手を掛ける駅員。
   駅員をじっと睨みつける登。

◯ 同・階段
   車椅子を抱える登と駅員。慎重に階段を上る。
   車椅子の上の硝子、グラグラと揺れる。
   駅員「(硝子に)ちょっと揺れますよ!しっかり掴まっててください!」
登「……」
   登たちは階段を上がり切った所で車椅子を下ろす。
   駅員から車椅子を奪う登。
   登の後ろをついて来る駅員。
駅員「二人は姉弟?」
登「……」
駅員「エラいねお姉ちゃんの車椅子押してあげるなんて」
登「…彼女です」
駅員「え!?ああ…だと思った」
   笑ってごまかす駅員。
   登たちは改札を抜けて、今度は下り階段に差し掛かる。
   再び車椅子を持ち上げる登と駅員。重さと緊張で表情が強張る。
   一歩一歩慎重に降りていく。
   あと一段で階段が終わるというところで、つるんと登の足が滑る。
   「あ」と驚く登の顔。
   「え?」と呆気に取られる駅員。
   車椅子から飛び出す硝子の体。
   二人は硝子に向かって手を伸ばすが、その手は空を切る。

◯ 同・ホーム
   額を強かに打ち付ける硝子。
   ガシャンと倒れる車椅子。
   電車を待つ人々が振り返ってざわめく。
   駅員、血相を変え硝子を抱き起こす。
駅員「大丈夫ですか!」
   硝子からの反応はない。
   駅員はやがて硝子の異変に気づく。
駅員「…あれ?」
   じっと駅員を見下ろす登。
登「触るな!!」
   不意に駅員を突き飛ばす。
   硝子を抱きかかえる登。
   そのまま線路に飛び降りる。
   わっとどよめく人々。
   直後ホームに滑り込んで来る回送列車。
   人々は青ざめたりスマホを構えたり様々な反応を見せる。
   電車が走り去った後、登たちの姿はない。
   起き上がり困惑する駅員。
駅員「…え?え?」
   隣には車椅子と登の荷物が残されている。

◯ 道(昼〜夕)
   駅前の繁華街。居酒屋やカラオケなどが立ち並ぶ。
   硝子を抱えて走る登。
   ひと目もはばからず全力疾走。
   すれ違う人々が登の方を振り返る。
登「あ!」
   街路樹に引っかかる硝子の服。ビリっと破けてしまう。
   咄嗟に避けようとして、今度は硝子の足を電柱にぶつける。
登「ごめん!硝子ちゃん!」
   背後から聞こえるパトカーのサイレン。
   路地裏に逃げ込む登。
登「……」
   息を潜める。
   通りではパトカーが走っていくのが見える。
登「…落ち着け。考えろ」
   しきりに辺りを見回す。
登「…ッ!」
   目についたのは一件の酒屋。
   店先に台車と段ボールが置いてある。
   ×  ×  ×
   台車を押して走る登。
   台車の上には段ボール。
   隙間から硝子が入っているのが見える。
   一心不乱に走る登を日差しが照らす。
   頬を幾重にも伝う汗。
   やがて登は車通りの多い国道沿いの歩道を走る。
   さらに日が暮れる頃には田舎道へ。
   それでも走り続ける登。
   目は虚ろで息も絶え絶え、足元はおぼつかない。
登「…ッ!」
   コンクリの割れ目に足を取られる登。
   ザーッと派手に転ぶ。
   起き上がった膝には大きな擦り傷。
   しかし気にせず台車を押して再びよろよろと走り出す。

◯ 廃神社(夜)
   ボロボロの壁や屋根。
   辺りには雑草が生い茂っている。
   台車にもたれかかる登。荒い呼吸を繰り返す。
登「…硝子、ちゃん?」
   震える手で段ボールを取る。
   台車に座った硝子。服は破れて全身汚れている。
   登、近くの水道から水を汲んできて硝子の顔を拭く。
   月明かりの下、硝子の額の傷が見える。
   思わず顔を曇らせる登。
登「痛かったよね…ごめん…」
硝子「……」
登「本当だったらもうユニパに着いてるはずなのに…」
   ぐらっと登を襲う目眩。
   ふらふらと歩いて拝殿の上に体を横たえる。
   朦朧とする意識の中、硝子を見つめる。
登「ごめん、明日には必ず…」
   気絶するように眠りに落ちる登。
   台車の上、登に背を向けたままの硝子。

◯ 山(朝)
   山の間から上る朝日。

◯ 廃神社
   大慌てで辺りを探す登。
登「…ない!ない!ない!」
硝子「……」
登「…リュック、どこかに落としちゃった」
   拝殿のひさしの下に座る硝子。虚空を見つめたまま何も言わない。
登「…どうしよう。このままじゃチケットが…」
   チラリと台車の方を見る登。
   酷使によって車輪が壊れてしまっている。
登「別の乗り物も探さないと…」
   硝子の顔色を伺う登。
   言い出しづらい。
登「…ごめん硝子ちゃん。もう一日時間が欲しい」
硝子「……」
登「どうにかするから!」
   硝子は黙ったまま何も答えない。

◯ コンビニ・外
   駐車場の大きな店舗。
   店内に入って行く登。

◯ 同・中
   所狭しと並んだ商品。
   おにぎりの棚の前に立つ登。
   ぐーと鳴る腹の虫。
   登、おにぎりを手に取りキョロキョロと辺りを見回して、ポケットに入れようとするが…、
登「うわ!」
   「ぶぶぶ」と耳の近くで聞こえるハエの羽音。
   登、咄嗟に払いのけようとして、店員と目が合う。
   商品を棚に戻す。
登「…やっぱり良くないよな」
   肩を落として店を出て行こうとする。
登「…あ。これ」
   不意に立ち止まる。
   視線の先には菓子パンが並んでいる。
   「ぶぶぶ」と邪魔なハエが周りを飛ぶが、しかし今度は気づかない。

◯ 廃神社
   拝殿に座る硝子。
   しゃがみ込む登。硝子の傷口に消毒液をかける。
登「ちょっとしみるよ…」
   硝子に絆創膏を貼って包帯を巻く。
   登、治療を受けた硝子を見てほっと胸を撫で下ろす。
登「ねェ硝子ちゃん、お腹空かない!?」
   取り出したのは菓子パン。
登「じゃん!硝子ちゃんの好きだったパン!偶然手に入ったんだ!」
   無言の硝子。
   登には硝子の視線が自分を責めているように見える。
登「ぬ、盗んでないよ!本当にたまたまもらっただけだから!」
硝子「……」
登「…お腹空かないか。じゃあぼくが食べちゃうよ!もう一日以上何も食べてないからお腹ペコペコだよ!」
   つとめて明るく振る舞う登。
   硝子からの返答はない。
   ×  ×  ×
   ひっくり返った台車。
   近くにはドライバーやスパナなどが転がっている。
   台車を修理する登。ぶつぶつと文句が止まらない。
登「クソ何でぼくがこんなこと…」
硝子「……」
登「…車椅子さえ手に入れば全部解決するのに。っていうか車椅子ってどこで売ってるんだ?」
   ちらっと硝子の顔色を伺う。
登「心配ないよ!すぐ直るからちょっと待ってて…。いッ」
   鋭い痛みに顔を歪める。
   見れば手には切り傷。鮮血が流れる。
   登、慌てて手を隠す。
登「大丈夫だよ!ちょっと切っちゃっただけだから…」
硝子「……」
登「…うっ」
   狼狽える。
   無言の硝子は呆れているように見える。
   登、耐えきれなくなって声を張り上げる。
登「かすり傷だって言ってるだろ!」
   辺りを包む静寂。
登「ぼくは硝子ちゃんのためなら何だって…」
   不意に天を仰ぐ登。
登「あ、雨…」
   登の顔に落ちてくる雫。

◯ 空
空を覆う厚い雲。

◯ 廃神社
   サァッと雨が屋根を叩く。
   ひさしの下に座る硝子。
   ビニール傘や廃材などで作ったバリケードで守られている。
   一方登はびしょ濡れ。硝子の隣に避難してくる。
登「ひえーすごい雨!」
硝子「……」
登「…これじゃあ身動き取れないね」
   廃材の隙間から見える硝子。
   雨に濡れる景色をじっと見つめている。
登「硝子ちゃんそっち濡れてない?」
硝子「……」
登「昨日はあんなに晴れてたのにね」
硝子「……」
登「もし寒かったら言ってね」
硝子「……」
登「…さっきは大きな声出してごめん」
   登がいくら話しかけても硝子は無反応。
   登も硝子と同じように降り注ぐ雨を見つめる。
登「…そういえば前も雨宿りしたことあったよね」

◯ 回想・図書館・前
   降りしきる雨。
   軒下で雨宿りをする登と硝子。
   硝子は生前の元気な姿。
   登、硝子を見上げて、
登「…雨の日は会話が弾む?」
硝子「そう他にすることがないからね」
登「どうだろう。今は皆ゲームとかするんじゃない?」
硝子「登はスマホゲー、出来ないけどね」
登「それは硝子ちゃんが!」
   ニッといたずらっぽく笑う硝子。
硝子「だから登も好きな女の子と話す時は雨の日が良いよ」
登「えー…そうなの?」
硝子「アンタどうせ口下手でしょ?」
登「……」
硝子「人生の先輩からのアドバイス」
   空を見上げる硝子。
   チラリと硝子の横顔を盗み見る登。
   端正な横顔に目を奪われる。

◯ 戻って現在・廃神社
   くしゃみをする登。
登「ぶえっくしょん!」
   鼻から長く垂れ下がる鼻水。
登「あ。ほら見て鼻水!」
   硝子の方を振り返る。
   しかし硝子は虚ろな目で虚空を見つめるだけ。
   あの頃の笑みはない。
   言葉を詰まらせる登。
   顔から笑みは消えゆっくりと俯く。
登「…嘘じゃん」
硝子「……」
登「ごめん。もう無理かもしれない…」
   硝子は何も言わない。

◯ 空(深夜)
   雲間から顔を覗かせる月。

◯ 廃神社(深夜)
   雨は止み、月明かりが降り注ぐ。
   サッと吹く風に揺れる木々。
   軒下の登と硝子を淡い月明かりが照らす。
   登、体を丸めて眠っている。
硝子の声「…る」
   眠る登、反応はない。
硝子の声「…のぼる」
   ピクッと反応する登。ゆっくりと目を開ける。
   ぼやけた視界は次第に明瞭に…。
   自分を覗き込む硝子と目が合う。
   驚き硬直する登。言葉が出てこない。
   不安げな硝子。しかし目には生気が宿っている。
硝子「…良かった。死んだかと思った」
登「…しょうこ、ちゃん?」
硝子「はい」
   柔和な笑みを登に返す。

◯ 藍原駅・構内
   「駅員室」と書かれた扉。
   扉が開き出て来る清子と根黒。
   清子、室内に向かって深々と頭を下げる。
   手には登のリュック。
   根黒は空の車椅子を押している。
   二人は憔悴しやつれた様子。
根黒「やっぱり硝子を連れ出したのは登だ」
清子「でもなんでそんなこと…」
根黒「おれが知るか。クソ、こんなことになるなら泊めなきゃ良かった」
清子「……」
   根黒、舌打ちをして歩き出す。
根黒「警察行くぞ」
清子「…ッ」
   根黒の手をとっさに掴む清子。
清子「ちょっと待ってよ!お兄ちゃん!」
根黒「……」
清子「そんなことしたら高校が…。せっかく受かったのに…」
根黒「今更高校なんかどうだっていいだろ」
清子「……」
根黒「お前は登が心配じゃないのか?」
清子「心配に決まってるでしょ!」
根黒「だったら一刻も早く見つけてやるのが母親のつとめだろ」
清子「でもお兄ちゃんはあの子がどれだけ頑張ってたか知らないでしょ?」
根黒「……」
清子「それに硝子ちゃんだって…」
   ピクッと根黒の眉が動く。
清子「登の合格は硝子ちゃんの願いでもあったのよ?お兄ちゃんだって叶えてあげたいと思うでしょ?」
   ギリッと歯噛みする根黒。
   祈るように根黒を見つめる清子。
   根黒、舌打ちをして、
根黒「…明日までだ。それまでにおれたちで見つけるぞ」
   小さく頷く清子。

◯ スーパーマルハシ・駐輪場
   郊外にある大型のスーパーマーケット。
   店の裏手にはずらっと自転車が並んでいる。
   自転車を一台一台見て回る登。
   やがて一台の前で立ち止まる。
登「ウソだろ…」
   自転車には鍵がかかっていない。 
   しかも電動アシスト付き。
   登、ニヤッとほくそ笑む。

◯ 道
   颯爽と坂道を下る自転車。
   ハンドルを握るのは登。
   荷台に乗るのは硝子。脇の下から紐を通して、がっちりと体を固定している。
   キラキラと目を輝かせる登。ペダルをこぐ足は軽い。
硝子「ちょっと登!飛ばし過ぎ!」
登「これくらい平気だよ!」
   登、更にペダルをこぐ足に力を込める。
登「ねェ硝子ちゃん!報告がある!」
硝子「報告?」
登「高校合格したんだ!」
硝子「…ウソ」
登「ホントだよ!第一志望受かったんだ!」
硝子「…すごい登!本当におめでとう。一生懸命頑張ったから…」
登「硝子ちゃんのおかげだよ」
硝子「…約束、守らなきゃね」
登「…うん」
硝子「行こう、ユニパ」
登「うん!」
硝子「…ところで登」
登「…うん?」
硝子「この自転車はどうしたの?」
   言葉を詰まらせる登。
   ゆるゆると自転車の速度が落ちてやがて停車する。
   目の前の赤信号を見上げながら、
登「…放置自転車だよ」
硝子「放置自転車?」
登「うん。あのまま置いておいたら色んな人に迷惑がかかっちゃう」
硝子「……」
登「だから安全な場所まで移動するんだ」
   緊張の面持ちの登。
   硝子、フッと相好を崩す。
硝子「…そう。偉いね」
登「ま、まあね」
硝子「登のそういう所、格好いいと思う」
登「…ッ!」
   ズッと寄りかかる硝子。
   登の背中に硝子の胸が当たっている。
登「しょ、しょうこちゃん?」
硝子「こんな風に二人乗りしてみたかったんだ」
登「うん…ぼくも」
   照れながらも喜ぶ登。
   再び自転車を力強くこぎ始める。

◯ 市民総合広場
   様々な遊具が並ぶ大型の公園。
   人々はピクニックをしたりバトミントンをしたり、思い思いの時を過ごしている。
   水飲み場で水を飲む登とベンチに座る硝子。
硝子「そっか途中でお財布落としちゃったんだ…」
登「だから電車もバスも使えなくて…」
   硝子の隣に腰を下ろす。
登「でも大丈夫!明日の今頃は観覧車の中だから!全部ぼくに任せて」
硝子「…頼りにしてる」
   登、硝子から顔を逸らして独り言。
登「…とは言ったものの、どうすればいいんだ…」
   ふと、何かに気づいて顔を上げる登。
   視線の先にはおばあさん。
   ベンチの上でうつらうつらと船をこいでいる。
   隣には無防備なハンドバッグ。
登「…硝子ちゃん、少し目をつむってて」
硝子「ん?うん…」
   硝子が目を瞑ったのを見て登は立ち上がる。
登「……」
   おばあさんの方へ歩いて行く登。
   息を殺して背後に立つ。
   ハンドバッグからはみ出た長財布をサッと抜き取る。
登「…ははッ、楽勝じゃん」
   逃げようとするが「ぶぶぶ」と一匹のハエが登の邪魔をする。
   パン!と反射的にハエを叩く登。
登「うげェ…」
   手のひらには潰れたハエ。デコピンで弾き飛ばす。
   ハッと視線を感じて面を上げる登。
   おばあさんと目が合う。
登「あの…」
おばあさん「……」
登「これ落ちてました…」
   財布を差し出す。
   ×  ×  ×
   公園の中を一人歩く登。
   少し離れたベンチで硝子が座っている。
   登、硝子に手を振ってため息。
登「…はあ」
   手には百円玉を握っている。
登「これだけ貰ってもなあ。子どもの小遣いじゃないんだから…」
   先ほどのベンチにおばあさんの姿はない。
登「日本の老人は金持ちなんじゃなかったのか?」
   登の向かう先には電話ボックス。
登「もうバラしたかな…」
   電話ボックスの中へ入っていく登。
   公衆電話を見下ろして眉をひそめる。
登「…これ、どうやって使うんだ?」

◯ 市民総合公園駅・前
   中型の終端駅。
   ロータリーを人や車が行き交っている。
   駅舎から出て来る伊月。
登の声「伊月!」
   伊月の方へ走って来る登。
   かたわらに硝子の姿はない。
   登、肩で息をしながら、
登「こんな所までわざわざありがとう。もう伊月しか頼れる人がいなくて…」
伊月「ふん、そう…」
   ふと登は伊月のネックレスに気づく。
   登がプレゼントしたもの。
登「あ。それ、似合ってる」
伊月「あ、ありがとう…」
   膝から崩れ落ちる登。
伊月「登!?大丈夫!?」
   ぐーっと鳴る登の腹の虫。

◯ モステリア・店内
   人で賑わうファーストフード店。
   ハンバーガーにがっつく登。
   登を唖然と見つめる伊月。
   テーブルのコンセントでは硝子のスマホが充電中。
伊月「ご飯食べてなかったの?」
登「まあね」
伊月「それに濡れた犬みたいな匂いがする…」
登「ほっとけ」
伊月「…登、家出したの?」
   登、一瞬食べる手を止めて考える。
登「違う。ちょっと…旅行」
伊月「旅行?」
登「明日か明後日には帰るよ」
伊月「おばさんに内緒で?」
登「内緒じゃない。書置きしてきたから。了解は取ってないけど…」
伊月「……」
登「でお金は?」
   登に真剣な目を向ける伊月。
伊月「…ねェ登何やってんの?」
登「……」
伊月「わたしは何が起こってるかよく分かんないけど、ただの旅行じゃないよね?」
登「理由は後で説明する。とにかく今は金が必要なんだよ。必ず返すから!」
伊月「…お金なんか持って来てない」
登「…はあ?」
伊月「わたし中学生だよ?そんなヒトに貸せるようなお金持ってない」
登「いやお年玉とかあるだろ!?別に何十万も寄越せなんて言ってない。精々一万とか二万とか…」
伊月「わたしは登を連れ戻しに来たの」
   ゴクっとハンバーガーを飲み込む登。
伊月「おばさんから何度も何度も連絡が来てる。もう誤魔化しきれないよ」
登「……」
伊月「登の家庭教師の人…硝子ちゃんだっけ?死んじゃったんでしょ?」
登「……」
伊月「何か関係あるの?」
登「ごちそうさま」
   スマホを持って立ち上がる。

◯ 市民総合公園駅・前
   一人早足で進む登。
   登を追いかける伊月。ガッと手を掴む。
伊月「ちょっと待ってよ!」
登「……」
伊月「今おばさん達が警察に行こうとしてる。そうなったら停学…いや合格取り消しになるよ」
登「そんなもの別に…」
伊月「わたしはイヤ!わたしは登と同じ学校行きたい」
登「……」
伊月「それにもしそうなったら一番悲しむのは硝子ちゃんだよ!?」
   じっと伊月を睨みつける登。
登「…硝子ちゃんが、そう言ったのかよ」
伊月「え?」
登「硝子ちゃんはユニパに行きたいって言ったんだ」
伊月「…の、登?どういう意味?」
登「…知ったような口ききやがって、お前に何が分かるんだよ」
伊月「…ッ」
   登の迫力に萎縮する伊月。
   しかし手は離さない。
   登、忌々しげに伊月の手を見下ろして振り払う。
登「ぼくの邪魔をするな!」
   瞬間、手が伊月のネックレスに引っかかり弾け飛ぶ。
   唖然とする伊月。
   バラバラになったネックレスは散らばり、側溝に落ちていく。
伊月「…あ、…あ」
   しゃがみ込む伊月。
   ネックレスを拾い集めようとするが、ポロポロと手から溢れ落ちてしまう。
   登、冷たい目で伊月を見下ろして、
登「お前なんか嫌いだ」
   走り去る。
   伊月、うずくまったまま動かない。

◯ バスの待合小屋・外観(夜)
   山や田んぼばかりの田舎道にポツンと建っている。
   小屋の中を照らす薄暗い電気。
   窓越しに登と硝子の姿が見える。

◯ 同・中(夜)
   ベンチに座った登と硝子。
   硝子、登を不安げに見つめる。
   登、ガタガタと貧乏ゆすりを繰り返しぶつぶつと呟く。
登「金もない。時間もない…」
硝子「……」
登「本当なら一泊二日の予定だったのに…。こうなったら裏口から忍び込む?無理だろうな…。コンビニ強盗?いやバカか…」
硝子「だ、大丈夫だよ!登なら絶対辿り着ける!わたし信じてるから!」
登「……」
硝子「…諦めるの?」
登「諦めないよ!」
硝子「……」
登「あ、ごめん…」
   悲しげに俯く硝子。
硝子「ううん。謝るのはわたしの方…。わたしがこんな体じゃなかったら…」
登、大きく首を横に振って、
登「硝子ちゃんは悪くないよ!」
硝子「登…」
登「悪いのは!えっと色々だよ!でも硝子ちゃんが謝るのは違う!絶対に!」
硝子「…ありがとう」
   柔和な笑みを浮かべる硝子。
   登、気恥ずかしくなって目を逸らす。
   ベンチの上の二人の手、いつの間にか重なりあっている。
   目を泳がせる登とふしめがちな硝子。
硝子「…ねェ登、キスしようか」
登「…………………………………………え?」
硝子「登がもっと頑張れるように」
   硬直する登。
登「えええええッ!?いやいや。えええええ え!?いや…。ええええええええッ!?」
硝子「……」
登「…いいの?」
   恥ずかしそうに頷く硝子。
   ドクドクと早鐘を打つ登の心臓。
   スッと目を瞑った硝子を見て、登は生唾を飲み込む。
   登、硝子の桃色の唇にゆっくりと顔を近づけて行く。
   二人の唇が触れる寸前、
登「ゲホッ!ゲホッ!ゲホッ!」
   強烈な臭気に激しく咽せる。
   口と鼻を抑えて地面に崩れ落ちる。
登「(咽せながら)硝子ちゃッ…ごめッ…」
硝子「登?」
   硝子を見上げる登。じっと目を凝らす。
   小首を傾げる硝子の口元に蠢く影。
登「…なんで?」
硝子「うん?」
登「…潰したはず、なのに」
   硝子の口から出て来たのはハエ。
   唇の端でカサカサと前脚を擦り合わせる。

◯ 同・前
   走り去る一台のバス。
   バスの影から現れる登。電動自転車を見下ろしている。
   ハンドルについた画面には「empty」の文字。
登「バッテリー切れか…」
   登、小屋の中の硝子に向かって、
登「ちょっとぼく乗り物探してくるよ」
硝子「うん。乗り心地の良いやつよろしくね」
登「一応頑張ってみるけど…」
   じっと硝子の顔を見つめる登。
   ハエの幻覚はもう見えない。
登「昨日はごめん…」
硝子「ううん、気にしてないよ」
登「初めてだったんだ…」
硝子「緊張してたんでしょ?」
登「…うん。でも何か…」
   言い淀む。言葉を詰まらせる。
硝子「頑張れ少年!次がある」
   登、少し元気を取り戻して頷く。
   歩き出そうとした瞬間、ポケットでスマホが震える。
登「…硝子ちゃん、電話鳴ってるよ」
硝子「出なくて良いよ。どうせ迷惑電話だから」
登「うん…」
   チラッとスマホの画面を見る登。
   スマホには『ともくん』からの着信。
   『ともくん』の後ろにはハートマークがついている。
   じっとハートを凝視する登。
登「…もしもし?」
   電話から聞こえる友保広樹(28)の声。
友保の声「あれ?これ硝子のスマホ…ですよね?」
登「どちらさまですか?」
友保の声「と、友保です…」
登「友保?」
友保の声「硝子の彼氏の…」
   咄嗟に通話を切る登。じっと画面を凝視する。
硝子「…登?」
   登、震える指で『写真アプリ』を立ち上げる。
   画面に表示される硝子と友保の写真。
   二人は仲睦まじそうに顔を寄せ合ってピースサイン。
   画面をスクロールする度に何枚も何枚も、同様の写真がうつる。
登「…ッ」
   息を飲む。
   それはユニパの観覧車でのツーショット。
   ゴンドラの中で二人はキスをしている。
   ×  ×  ×
   (※フラッシュ)
   硝子の部屋のパンフレット。
   書き込まれた『告白』の文字。
   ×  ×  ×
登「告白って、ぼくのことじゃなかったのかよ…」
   力なく立ち尽くす。

◯ 同・中
   うずくまる登、表情は見えない。
   不安げに登を見下ろす硝子。
硝子「ねえ登」
登「……」
硝子「乗り物探しに行かないの?」
登「……」
硝子「ユニパ閉まっちゃうよ?」
登「…硝子ちゃん彼氏いたんだね」
硝子「……」
登「そりゃ彼氏ぐらいいるよね。硝子ちゃん可愛いから…」
硝子「……」
登「…ねェ硝子ちゃん、何でキスしようなんて言ったの?何でユニパに行こうなんて言ったの?」
硝子「……」
登「ぼくに同情してたってこと?」
硝子「…登、わたしまだ帰りたくない」
登「…ぼくもだよ。でももう無理じゃないかな」
硝子「イヤ!お願い。ユニパ連れてって…」
登「じゃあ質問に答えてよ!」
   ガバッと勢いよく立ち上がる登。
   登の視線の先には虚空を見つめる硝子。
   目は虚ろ、口は半開きでまるで生気がない。
登「…ッ!」
   驚き怯える登。
   硝子を残して飛び出していく。

◯ 道
   一人歩く登。足取りは重い。
   登の横を何台も自動車が走っていく。
   そのうちの一台がキッと急停車。
   降りて来たのは根黒。
根黒「登!」
   猛然と登の元へ歩いて来ると、いきなり殴りつける。
   登、のけぞり膝をつく。
根黒「…硝子をどこへやった」
登「……」
根黒「言え!」
   登、虚ろな目で何も言わない。

◯ パチンコ屋・駐車場
   二階建ての立体駐車場。
   一台の自動車が乱暴に入って来て停車。
   車中には登と根黒の姿が見える。

◯ 停車中の自動車・中
   運転席に座る根黒。
   助手席に座る登。口からは流血。
根黒「…お前の友達がこの辺りにいると教えてくれたよ」
登「……」
根黒「電話口で何度も謝られた。ダメだろ。ああいう子を悲しませちゃ」
   チラリと登の様子を伺う。
   登は無反応。目は黒く淀んでいる。
根黒「殴って悪かったな。あとで病院に連れて行ってやる」
   カチャッとシートベルトを外す根黒。
   登の胸ぐらを掴む。
根黒「だがその前に硝子の居場所を教えろ。まだ殴られたいか?」
登「…ぼくはもう帰ろうって言ったんだ」
根黒「……」
登「…でも硝子ちゃんはまだ帰りたくないって」
根黒「…硝子がそう言ったのか?」
登「…うん」
根黒「クズが」
   ビクッと反応する登。ぎゅっと拳を握りしめる。
根黒「だからって置いてくるやつがあるか。あの子は一人で動けないんだぞ?」
登「……」
根黒「とにかく居場所を言うんだ。お前が帰りたいというならおれも協力する」
   しかし登は何も言わない。
   根黒、乱暴に登から手を放してタバコに火をつける。
根黒「どうして硝子の周りにはクズばかり集まって来るんだ…」
   根黒の言葉を聞いて、ゆっくりと顔を上げる登。
登「…もしかして、友保って人のこと?」
根黒「知ってたのか?」
   登、小さく頷く。
根黒「…あいつにも硝子は酷い目に合わされた。別れようとしても付きまとってきて、何度も怖い思いをさせられたんだ」
登「でも二人は恋人だって…」
根黒「一時の気の迷いだ。今となっては赤の他人…いや」
登「……」
根黒「敵だ」
   じっと考える登。
   僅かに目に光が戻る。
登「…そうか。だから硝子ちゃんは…」
   登の髪を掴む根黒。
   タバコの火を突きつける。
根黒「奴と同じ目に合いたくないだろう?」
登「……」
根黒「おれは硝子のためならなんでもするぞ。子どもでも甥っ子でも容赦はしない。言え。硝子はどこだ」
   黙ったままの登。
   タバコの火が眼前に迫る。
   登がぎゅっと目を瞑った直後、根黒のスマホが鳴る。
   根黒、電話に出て、
根黒「ああ、今登と一緒だ。…分かってる。何もしてない。ちょっと待て」
   スマホを登に渡して、
根黒「お前の母さんだ。安心させてやれ」
   スマホを手にじっと考える登。
   画面には「清子」の文字。
   電話口から登を呼ぶ声が聞こえる。
   チラリとダッシュボードを見る登。
   棚の上に車のキーが置いてある。
登「…ッ」
   不意に車のキーを掴む登。
   車外へ飛び出す。
根黒「登!」
登「…ごめん、おじさん」
   ガシャーンと、鍵とスマホを地面に叩きつける。
   登、根黒に背を向けて走り出す。
根黒「待て!登!ぐっ…」
   車から降りてくる根黒。
   しかし苦しそうに胸を押さえて膝をつく。
   一瞬躊躇う登。
   しかし根黒を残して走り去る。

◯ 道(夕)
   息を乱しながら走る登。
   スマホを取り出して電話をかける。
   電話口から聞こえる友保の声。
友保の声「あの硝子は!?硝子に何かあったんですか!?」
登「硝子ちゃんは今一人で動けない状態です」
友保の声「ど、どういうことですか!?」
登「明日正午、ユニハイランドパークに来てください」
友保の声「…ユニパに?」
登「硝子ちゃんに会わせてあげます」
   通話を切る登。
   吊り上がる口角を押さえて再び走り出す。

◯ バスの待合小屋(夕)
   西日に照らされる小屋。周囲には不自然にカラスが集まっている。
   走って来る登。棒切れを振り回してカラスを追い払う。
登「消えろ!硝子ちゃんに近づくな!」
   ベンチに座る硝子。怯えた様子で登を見る。
硝子「…登?」
登「硝子ちゃん!怪我はない!?」
硝子「うん、大丈夫…」
   硝子の前にひざまずく登。
登「ごめん硝子ちゃん、一人にしちゃって…。全部ぼくが間違ってた」
硝子「…ううん。帰ってきてくれるって信じてた」
登「もう迷わないから」
硝子「……」
登「行こうユニパ!」
硝子「…うん」
   見つめ合う登と硝子。

◯ 山道(夜)
   「休工中」と書かれた道路工事現場。
   スコップや猫車など、様々な作業工具が放置されている。
   ×  ×  ×
   猫車を押す登。
   上には硝子が乗っている。
硝子「だから言ったのに。迷惑電話だって。出る必要はないって」
登「ごめん、早とちりした。もう少しちゃんと話を聞けば良かった…」
硝子「わたしも内緒にしてたのはごめんなさい。でもアイツとはもう何でもない。思い出すだけでも今でも怖い…」
登「ひどい…」
硝子「…わたしのこと守ってくれる?」
登「あ、当たり前だよ!」
硝子「うれしい…」
   登、恥ずかしそうに頬をかく。
   ×  ×  ×
   登の進む道は次第に急坂に。
   登、苦しそうに猫車を押す。
硝子「そう、お父さんに会ったんだ…」
登「心配しないで。救急車呼んでおいたから。今頃病院のベッドの上だよ」
硝子「…わたしが心配なのは登の方」
登「ぼく?」
硝子「殴られたんでしょう?」
登「…いやー、どうかな」
硝子「口から血、出てるよ」
   口の端を拭う登。
   努めて明るく振る舞う。
登「ギリギリで避けたから心配ないよ!殴られるのって大したことないね」
硝子「…ちょっと休んだら?」
登「……」
硝子「休憩しないの?」
登「するよ。だけど、もう少し…」
   登の額に浮かぶ脂汗。
   息も切れ切れ。
硝子「もう休みなさい!登!」
登「だけどユニパは目と鼻の先なんだ」
硝子「……」
登「休んでる暇はないよ」
硝子「…あ、それ」
   苦笑する登。
登「これ最初はすごく怖かったんだ…」

◯ 回想・垣本家・登の部屋
   室内に散乱した服やゴミ。
   だらけた登。ベッドに寝転びスマホをいじっている。
   バン!と開く扉。
   肩を怒らせ硝子が入って来る。
   手には金槌。
   硝子、登からスマホをもぎ取って、
硝子「…赤点だったらスマホ没収って言ったよね?」
登「…で、でも休憩も必要だから」
硝子「アンタに休んでる暇はない」
   思い切りスマホに金槌を振り下ろす。
   粉々になるスマホ。
   唖然とする登。
   硝子の後ろ、廊下には清子が立っている。
   硝子、清子に金槌を突きつけて、
硝子「おばさんも!甘やかしすぎ!」
   硝子の説教にたじたじの清子。
   恐怖に顔を引き攣らせる登。
   いそいそと部屋を片付け始める。

◯ 戻って現在・山道(夜)
   完全に足を止める登。
   硝子を乗せた猫車はピクリとも動かない。
登「スマホは叩き割るし母さんには説教するし、今考えても滅茶苦茶だよ…」
硝子「わたしも必死だったから…」
登「分かってる」
硝子「……」
登「ほとんど毎日ぼくの勉強に付き合ってくれたよね。自分の課題だってあったはずなのに…」
硝子「ううん、気にしないで」
登「壊したスマホも弁償してくれたこと、知ってるんだ」
硝子「おばさん…、ナイショだって言ったのに…」
登「必死で本気だって分かったから、その気持ちに応えたいって思った」
硝子「…うん」
登「硝子ちゃん、お願い。硝子ちゃんの声で聞かせて欲しい」
   うつむく登。
   呼吸は荒く一歩も動けない。
   逡巡する硝子。やがて…、
硝子「…暇はないよ」
登「うん」
硝子「休んでる暇はないよ!登!」
登「はい!」
   力強く地面を踏みしめる登の足。
   ゆっくりと進み始める。

◯ 空(早朝)
   うっすらと白む東の空。

◯ 道(早朝)
   坂の天辺に辿り着く登。
   強烈な朝日を受けて思わず目を細める。
登「…見えた」
   登の視線の先、山の中腹から顔を覗かせる観覧車。

◯ ユニハイランドパーク・入口
   アーチ状の門には『ユニハイランドパーク』の文字。
   辺りは老若男女、様々な人で賑わっている。
   呆然と門を見上げる登。
   かたわらに硝子の姿はない。
登「……」
   登、人混みの中に友保を見つける。
   友保、キョロキョロと辺りを見回して不安げな様子。
登「…あなたが友保さんですか?」
友保「…きみが登くん?電話で話した…」
登「はい」
友保「それで硝子は…ッ!?」
登「今連れて来ます。それよりもチケット頼んでもいいですか?」
友保「チケット?」
登「ぼくと硝子ちゃんとあなたの分」
友保「……」
登「中で話しましょう。ぼくは車椅子を借りてきます…」
友保「分かった…」
   チケット売り場へ向かう友保。
   登、チケットを買う友保を見つめる。

◯ 同・広場
   園内に響く明るい音楽と人々の喧騒。
   入口から歩いて来る登と友保。
   登、硝子の乗った車椅子を押している。
友保「…硝子、ごめん。中々連絡できなくて」
   黙ったままの硝子。
   帽子を目深に被り表情は見えない。
友保「おれも頑張ってたんだ。お父さんに認めてほしくて。浮気なんかしてないよ。ずっと硝子のこと思ってた」
   目に涙を浮かべて、
友保「でもまさかこんなことになるなんて…」
登「…こんなこと?」
友保「硝子はもう死んでるんだろ?」
登「…ッ!」
友保「きみと電話をした後、おれの方でも色々調べたんだ。そこで大方の事情は把握したよ」
   方向転換する登。
   逃げようとするが、友保の手に阻まれる。
友保「まあ待てよ」
登「…邪魔するつもりですか?」
友保「邪魔?」
登「ぼくたちのことを連れ戻しに来たんでしょう?」
友保「まさか。むしろおれはきみに感謝してるんだ」
登「……」
友保「実はおれたちは交際を反対されていて、形式上別れたことになってる。だからきみが連れて来てくれなかったら、もう二度と硝子には会えなかった…」
登「……」
友保「登くん、本当にありがとう」
登「アナタのためにやったわけじゃない」
友保「分かってる。硝子のためだ。…硝子がここに来たいって言ったんだろう?」
登「そうです」
友保「おれは信じるよ」
登「…え?」
友保「だってここはおれたちの思い出の場所だから…」
   込み上げるものを堪える友保。
   友保の背中を睨みつける登。
   ギリッと歯噛みする。
友保「登くんはここに来るのは初めてか?」
登「…いえ。小学生の頃に一度」
友保「だったら久しぶりに遊んでくるといい」
登「……」
友保「ここまで連れてきてくれて本当にありがとう。あとはおれに任せていいから」
登「大丈夫です」
友保「わかった、小遣いもあげよう」
登「結構です」
   友保、苛立った様子で、
友保「あのさ登くん、わかるだろ!?」
登「……」
友保「二人きりにさせて欲しいんだ!きみが本気で硝子のことを思うなら、それが一番なんだよ!」
登「ストーカーですか?」
友保「…は?」
登「別れた恋人に未練がましく付きまとうやつは世間ではストーカーって言うんですよ?」
友保「別れたことになってるって言っただろ!?実際は別れてないの!」
登「違う。硝子ちゃんはお前のことを怖がってる」
友保「はあ?」
登「ぼくは本人の口からはっきりと聞いたんだ!」
友保「硝子のスマホの写真見ただろ!?」
登「だから何だっていうんだ!」
友保「…ッ!」
   怒りのあまり言葉が出てこない友保。
   登、小馬鹿にするように、
登「そっくりそのままお返しします。どこかで遊んで来たらどうですか?元カレさん」
友保「テメェ!」
   登に掴みかかる友保。
   しかし登も怯むことなく友保を睨み返す。
   黒く澱んだ登の目。
   友保、思わずたじろぐ。
友保「…どけクソガキ!」
   力づくで車椅子を奪おうとする。
   だがその手は毛深くゴツい手に阻まれる。
   二人の間に立つ根黒。
   傲然と友保を睨みつける。
根黒「…その手を離せ。ストーカー野郎」
   友保を殴る根黒。
   驚く登。
   地面に転がる友保。
友保「お、父さん…」
根黒「違う。根黒さんだ」
友保「…何でだよ!最後くらい一緒にいたっていいだろ!?」
根黒「何度も言わせるな。お前は硝子に近づくな」
根黒、登の方を振り返って、
根黒「硝子を渡せ、登」
登「イヤだ!」
根黒「もうこっちもなりふり構っていられる余裕はない」
   再び拳を振り上げる根黒。
   それでも登は怯まない。
登「おじさんはそんなことして硝子ちゃんが喜ぶと思ってるの?」
根黒「…ッ」
登「ぼくを殴って硝子ちゃんが喜ぶなら何度でも殴れよ!」
根黒「この…ッ」
   睨み合う三人の男たち。
   いつしか園内に流れる音楽は消えている。
   人々の姿も笑い声もない。
   園内にいるのは登たちだけ。辺りは静寂に包まれる。
   こう着状態の登たちの前で、
登「…え?」
   スッと硝子が車椅子から立ち上がる。
   硝子の後ろ姿を見て、男たちは息を飲む。
   そのまま硝子は一目散に走り出す。
登「硝子ちゃん!?」
友保「硝子!」
根黒「硝子!」
   呼びかけ虚しく硝子は止まらない。
   三人は彼女を追いかけて走り出す。
   だが「ブチッ!」と、登の足から聞こえるイヤな音。
   受け身も取れず登は地面に倒れ込む。
   必死に起きあがろうとするが、足が動かない。
   登の足は傷だらけ。ボロボロのスニーカーには血が滲んでいる。
登「何でだよ!?クソ!動けよ!」
   前を走る硝子たちの姿は、あっという間に見えなくなる。
登「硝子ちゃん!待って!あと少しなんだ!」
   地面を這いつくばる登。遅々として進まない。
登「ぼくを置いて行かないで…」
   登の叫びは誰にも届かない。

◯ 同・メリーゴーランド
   馬や馬車の間を走る硝子。
   身のこなしは軽く踊るようにステップを踏む。
   必死に追いかける友保。
友保「待ってくれ硝子!逃げることないだろ!?」
硝子「……」
友保「確かに今までのおれはどうしようもないクズだったよ…。金はせびるし働かないし、あげくお前の親友に…」
硝子「……」
友保「でも今は真面目にバイトもしてる!おれは変わったんだ!」
   友保、ハッと気づいて、
友保「…そうか。お前はしゃいでんのか!」
硝子「……」
友保「初めて来た時もさ楽しかったよな!硝子メチャクチャはしゃいでさ、走って転んでヒールが折れて、急遽買ったスリッパで回ったんだ…」
硝子「……」
友保「観覧車の告白も、まさか同じこと考えてるなんて思わなかったよな…」
   立ち止まり肩で息をする友保。
   ゆっくり顔を上げると、硝子が立ち止まり待っている。
友保「…硝子は何に乗りたい?」
硝子「……」
友保「硝子の乗りたいものに乗ろう」
   追いかける友保と再び走り出す硝子。

◯ 同・ジェットコースター
   同時刻、別の場所で、根黒も硝子を追いかける。
根黒「硝子!もう家に帰ろう…」
   根黒、息は切れ切れで足取りは重く、壁や柵に捕まりながら進む。
   硝子は父の歩調に合わせて緩やかにジェットコースターの階段を上がる。
根黒「おぼえてるか?まだお前が小学校に上がる前、ここに来たんだ…」
   根黒、身長制限のパネルを一瞥して、
根黒「身長制限でジェットコースターに乗れなくてな。何故かパパだけ乗らされたんだ。絶叫系が苦手なのに…」
硝子「……」
根黒「あの時もお前は帰りたくないって駄々をこねて園内を逃げ回って、結局次の日熱を出したんだ」
   ピタッと立ち止まる硝子。
   コースターの乗り口で根黒を見下ろす。
   硝子を見上げる根黒。
根黒「…今日はパパを待ってくれるのか?」
硝子「……」
根黒「今行くぞ硝子!」
   死に物狂いで歩みを進める根黒。
   根黒の指が触れる寸前で、硝子はひらりと身をかわす。
   スカートを翻しコースターを飛び越えて下り階段を降りていく。

◯ 同・観覧車・前
   合流する根黒と友保。
   お互いの存在には気づくが無視をしたまま硝子を追いかける。
   軽やかに走る友保に対して、根黒の足取りは重い。
   二人の距離はどんどん離れて行く。
友保「……」
   立ち止まり振り返る。
友保「…ああもう!」
   引き返して根黒に肩を貸す。
根黒「やめろ!触るな!」
友保「うるせえ!黙って走れ!」
硝子「……」
   二人を見つめる硝子。
   目元は帽子で隠れているが、口元は薄ら笑っている。
   ぴょんと観覧車に飛び乗る硝子。
   遅れて根黒と友保も同じゴンドラに乗り込んでくる。
根黒・友保「硝子!」
   だが室内に硝子の姿はない。
   呆然とする根黒と友保。
   二人を乗せたゴンドラは地上を離れてゆっくりと上がっていく。

◯ 同・広場
   地面を這って進む登。
   車椅子の近くから殆ど移動していない。
登「…なんで逃げるんだよ」
   服は擦り切れ身体中傷だらけ。
登「もう少しなのに、あとちょっとで観覧車なのに…なんで…」
   ぐっと空気を掴む登の手。
   そのままうつむき動かなくなってしまう。
   地面に滴る汗。
   登の呼吸音だけが辺りに響く。
登「…硝子ちゃん、ホントは来たくなかったのかな」
   「ぶぶぶ」とハエの羽音が呼吸音を遮る。
   直後、登の体が宙を舞う。
登「うわッ!」
硝子「重いいいいい!」
   登を抱き抱える硝子。
   そのままよろよろと歩いて車椅子に乗せる。
硝子「赤ちゃんの頃とは大違い!当たり前だけど!」
登「…硝子、ちゃん?」
   恐る恐る顔を上げる。
   硝子、ニヤッと口角を吊り上げる。
硝子「行くよ、登」
登「…ッ!」
   驚きながら頷く登。
   ×  ×  ×
   園内最奥に聳える観覧車。
   車椅子に乗る登と押す硝子。
   観覧車を目指して猛然と進む。
登「ちょっと!危ないよ!」
硝子「しっかり掴まってて!」
   ガッと段差に引っかかる車椅子の前輪。
   飛び出しそうになる登。
登「うわッ!」
   ギュッとハンドルのブレーキを握る硝子。
硝子「難しいー。こんな段差も超えられないんだ」
登「常に道を見てないとすぐに転んじゃうんだ」
硝子「よくこんなの押して来たね」
登「最初はぼくも難しかったけど、今では砂利道だって走れるよ!」
硝子「…また変な特技身につけて。勉強しなさい、勉強」
   じっと硝子の顔を見つめる登。
   訝しげに登を見下ろす硝子。
硝子「なによ」
登「ずっと一緒だったのに…」
硝子「……」
登「久しぶりに硝子ちゃんと話をした気がする」
硝子「わたしはずっと話しかけてたけどね」
登「…え?」
根黒・友保の声「硝子ぉおおッ!!」
   遠く聞こえる声に驚く登。
   見れば観覧車の方から、友保と根黒が支え合いながら走ってくる。
硝子「げッ。もう追いかけて来た!」
   90度方向転換して走り出す硝子。
登「だから危ないって!」
硝子「うるさい!舌噛むよ!」
   登と硝子は園内を縫うように進む。
   メリーゴーランドやジェットコースターの前を抜けて、やがて高台にそびえ立つ観覧車の麓までたどり着く。
   硝子、長く伸びるスロープを懸命に上がりながら、
硝子「上り坂ってこんな大変なの!?」
登「……」
硝子「アンタもうここから自分で歩けない!?」
登「…ねぇ硝子ちゃん」
硝子「今話しかけないで!」
登「…でもおじさんが来てるんだよ?」
硝子「知ってる!」
登「あと友保って人も…」
硝子「……」
登「それなのにどうして逃げるの?ぼくの所にいていいの?」
硝子「…はあ。ホント鈍いね、登は」
登「え?」
   驚き振り返る。
   立ち止まってしまう硝子。ぷるぷると全身を震わせる。
硝子「登!アレ言って!」
登「…で、でも」
硝子「いいから早く!」
登「……」
硝子「早く!」
登「…硝子ちゃん、休んでる暇はないよ!」
硝子「うるさいッ!」
   坂道を駆け上がる硝子。
   唖然とする登。
   「にぶい?」と硝子の言葉を噛み締める。

◯ 同・観覧車・ゴンドラの中
   ザーッと滑り込む登と硝子。
   登、床にうずくまって、
登「いてて…」
硝子「登、立てる?」
登「うん、大丈夫…」
   硝子と向かい合って座る登。
   ゴンドラは二人を乗せてゆっくりと上がって行く。
登「……」
   気まずい沈黙。
   硝子はアンニュイな雰囲気をまとって外を眺めている。
   緊張の面持ちの登。
   貧乏ゆすりをして目は忙しなく動き回っている。
登「…ぼく高校受かったんだ」
硝子「……」
登「…受かったんだよ、硝子ちゃん」
硝子「もう何度も聞いたよ」
登「…うん」
硝子「だからユニパに来たんだよ。約束だからね」
   登、嬉しそうに何度も頷く。
硝子「…ねぇ、登。わたしに何か言いたいことあるんじゃない?」
登「…ッ!」
   緊張する登。浅い呼吸を繰り返す。
   声を絞り出すように叫ぶ。
登「ぼくは硝子ちゃんが好きだ!」
硝子「……」
   黙ったままの硝子。
   冷たい視線で登を見下ろす。
硝子「絶対に許さない」
登「…え」
   凍りつく登の顔。
硝子「…ここに着くまでにアンタがやったこと、どんな理由があれ許されることじゃない。もう高校生なんだから分かるよね?」
登「でも仕方なかったんだ!何でもやらなきゃここまで来れなかったし…」
硝子「……」
登「ゆっくりしてたら硝子ちゃんは…」
硝子「関係ない。わたしがひとに迷惑掛けること、大嫌いなの知ってるでしょ?しかもおばさんや伊月ちゃんだけじゃなくて、わたしの大切な人までアンタは傷つけた」
登「…ッ」
硝子「絶対に許さないから」
   硝子の凍てつく視線が登を貫く。
   登、何か言い訳をしようとするが言葉が出て来ない。
   今にも泣き出しそうな顔で俯く。
登「ごめんなさい…」
硝子「わたしに謝ったってしょうがないでしょ」
登「…うん。おじさんと母さんと伊月と、あと友保さんも。他にも迷惑かけた人たちにちゃんと謝る」
硝子「そんな単純な問題じゃない。傷つけられた人の心は簡単に治らないよ?」
登「それでも謝る。弁償もちゃんとする。何回も…」
硝子「高校は?」
登「行く!勉強もする!皆勤賞目指すから…」
硝子「……」
登「だからぼくのこと嫌いにならないで…」
   硝子、ボロボロの登の足を見下ろす。
   痛ましい姿に眉をひそめる。
   一方自分の膝には絆創膏がついている。
   頭には包帯。
硝子「…治療、してくれたんだ」
登「…え?」
   硝子、深くため息をついて、
硝子「ひとのこと勝手に連れ出して色んな人に迷惑かけて絶対に許さない…って思ってたけど、いざ来てみたら楽しくなっちゃった。わたしも同罪ね」
登「…どう、ざい?」
硝子「約束」
   登に小指を向ける硝子。
   登、恐る恐る硝子と指切りをする。
   二人を繋ぐ小指と小指。
   不意に笑顔を見せる硝子。
硝子「連れてきてくれてありがとう」
登「…ッ!」
   硝子の手を握る登。
   驚く硝子。
   登、真っ直ぐ硝子を見つめる。
硝子「…登?」
登「…硝子ちゃん、返事を聞かせて」

◯ 同・同・外観
   カコンと停止する観覧車。
   二人を乗せたゴンドラはちょうど天辺で止まる。

◯ 同・同・ゴンドラの中
   手を握り見つめ合う二人。
   硝子、潤んだ瞳で登を見つめる。
硝子「…嬉しい」
登「…ッ!」
   ガッと硝子の肩を掴む。
   硝子は驚くが、拒まない。少し顔を上げてスッと目をつむる。
   ワナワナと震える登。
   大きく息を吸って呼吸を止める。
登「…ッ!」
   だが「ぶぶぶ」と、不快な羽音とともに一匹のハエが硝子の顔に張り付く。
   「キス顔」を縦横無尽に這い回る。
   さらに一匹また一匹と、顔中の穴から現れるハエ。
   瞬く間に硝子の顔はハエで覆われる。
   おののく登。
   登を見て悲しげに笑う硝子。
硝子「…無理しなくていいよ」
登「……」
硝子「もう十分だから」
登「無理なんかしてない!」
硝子「……」
登「虫の一匹や二匹どうってことない!泣きボクロみたいなもんだよ!」
硝子「(吹き出して)なにそれ」
登「本気だよ!どんな姿でも硝子ちゃんは硝子ちゃんだ!」
硝子「……」
登「ぼくは本気で可愛いって思ってる!」
   目を見開いたまま硝子に迫る登。
   硝子の肩を掴む手に力がこもる。
   登の眼前に迫るハエと無数の羽音。
   顔がハエの中に埋まる瞬間…、硝子の手が登を拒絶する。
硝子「…登。これ以上は引き返せなくなっちゃう」
登「……」
硝子「約束守れるよね?」
   硝子の言葉に止まる登。
   無数に重なり合うハエの羽音。
   羽音はやがて大音量へ。
   登、堪えきれなくなり耳を塞ぐが、不快な羽音は防げない。
   登は呟く。
登「ズルいよ、硝子ちゃん……」
   瞬間、途切れる羽音。
   室内を包む静寂。
   地面にうずくまる登。
   恐る恐る顔を上げる。

◯ 同・園内
   底抜けに明るい音楽と人々の笑い声。
   園内の至る所で来園客が遊んでいる。
   観覧車の下に立つ根黒と友保。
   ゴンドラを呆然と見上げる。

◯ 同・観覧車・ゴンドラの中
   腐敗臭に激しく咽せる登。
登「ゲホッ!ゲホッ!」
   地面にうずくまり胃液を吐く。
   椅子に座る硝子は、ぐったりと体を壁に預けている。
   硝子にかつての面影はない。
   斑模様に変色した肌。
   髪はボサボサ。
   焦点の合わない淀んだ目。
   半開きの口。
   ボロ切れから伸びた足はあらぬ方向に曲がっている。
   登の前に座っているのは腐った死体。
登「…約束守るよ」
硝子「……」
登「でも死んじゃったら意味ないだろ…」
硝子「……」
登「何か言ってよ…」
   硝子は何も答えない。

◯ 同・同・外
   天辺のゴンドラの中では、硝子の遺体にすがりつく登の姿が見える。
   窓に張り付く一匹のハエ。
   じっと中の様子を伺っている。
   間もなくしてハエは「ぶぶぶ」と光の方へ飛んで行く。
   ガコンという音と共に動き始める観覧車。
   登を地上へ連れ帰る。

   了

「ハエノネ」(PDFファイル:912.55 KB)
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